四ノ宮浩のメモより 「スモーキーマウンテンの第一印象は自分の想像していた地獄と同じ風景だと感じた。」 「『カムスタカ(こんにちは)』と子どもたちのきれいな澄んだ瞳(無邪気な目)にふれて初めて、『これだ、僕はこれを撮るんだ』と思った。」 ・・・スモーキーマウンテンでの撮影が始まる 「部屋を借りた。2週間でダメになった。死体を毎日見た。一時住民になった。言葉の苦労。」 「初めてたった独りになった僕。ホテル。日本の生活を知っている僕にとって住民になることは苦痛。」 ・・・撮影が進んで 「子どもたちは日曜日教会に行って、自分のことを第一番目に祈っていなかった。」 —家族や友だちを大切にすることをスモーキーの子どもたちに教わった。 「自分の幼児体験を思い出させてくれたスモーキーの子どもたち。」 —父のいない家庭で、「じいさん」の寿命を延ばしてほしいと神に祈ったこと。 ・・・スモーキーマウンテンの人たち 「スモーキーマウンテンを出ていきたくない理由。」 —土地への愛着や思い出のある街。仕事がある。・・・金のない人は新しい世界へいけない。 「訪問者がくると、やさしい笑顔で迎えてくれる。」 「スモーキーの人々は好んでスモーキーに住んでいるんじゃない。」 —選択がない生活。 「スモーキーの下宿先アリスの家では、いつも食事ごとに夫が『コサラップ(おいしい)』といっていた。」 —どんなにまずい食事でも夫は妻のつくった食事に文句をいったことはなかった。 「子どもたちは、学校も、電気も、父も、金も、トイレも、飯も足りない。でも不満をいうこともなく、今食べられるからみんな満足していた。」 「日曜日の午後が唯一の旅行。」 「臭いは3日でなれる。」 『友達、ゴミ、金、遊び、家族、将来、恋愛、差別、親・・・』 『僕のお母さんと同じ』 『僕のガールフレンドと同じ』 『僕の親父と同じだと思ってもらうこと』 ・・・エモンの一家 「なぜエモンは魅力的なのか?」 —金が数えられない。車に乗ったことがない。故郷はスモーキーマウンテン。2日食べられない経験をした。・・・今でも瞳が澄んでいた。 「エモンの食事はご飯とおかず一品(魚中心)だった。それでも食えない経験があるので、飯を食うことに感謝していたエモン。」 ・・・クリスチーナの言葉 『私たちにいい生活は必要ない。1日3回食べられて、子どものミルク代が不足しなければいい。私たちは家族みんな一緒なので幸せですよ。』 |
完成までの足跡 |
1988年 9月 四ノ宮は、フィリピン、マニラを訪れ家族のために働く子供たちに感動し、ストリートチルドレンのドキュメンタリー映画の製作を決意する。 10月 東京に戻り製作費を集めるため、中古ビデオの販売を集中的に行い1000万集める。 1989年 1月 再びマニラに行った四ノ宮は、カメラマンの瓜生に誘われ初めてスモーキーマウンテンを訪れる。その凄さにショックを受けるが、そこに生きる子供たちのきれいな瞳と態度に心打たれ、映画のテーマを変更し準備を進める。 3月 日本人スタッフ5人とフィリピン人通訳を入れ、本格的な撮影体勢に入る。 4月 数度の中断後、スタッフの助言からスモーキーマウンテンの中に部屋を借り、もう一度スモーキーマウンテンを見つめ直す。 7月 第一次撮影終了 9月 スタッフの一人がスモーキーマウンテンに行くと、主人公の少年と少女が結婚という想像もしなかった展開になっている知らせを受け、親戚から製作費を借り急遽撮影続行を決定。 12月 第二次撮影開始。 1990年 5月 日本人スタッフは3人に減ったが、フィリピン人スタッフ2人を加え撮影を続行。 1991年 8月 クランクアップ。東京に戻り編集作業に入る。 1992年12月 追加撮影のため、3ヶ月フィリピンに滞在。 1994年 7月 初号完成。 1995年 5月 再初号完成。 |