スモーキーマウンテンについて     

スモーキーマウンテンとは?

ゴミ捨て場で読み物を読む少女 フィリピン・マニラ市の北に、東洋最大のスラムと称される広さおよそ、29ヘクタールの巨大なスラムがある。
ここは、もとは漁村であった。1954年ゴミの投棄場所となり、それ以来マニラ市内のゴミが運び込まれ続けてきた。長年、運び込まれてきたゴミがつもり、21ヘクタール、高さ30メートルの山が出来た。そのゴミが自然発火して常に、煙を上げていることから、スモーキーマウンテンと呼ばれる。

ここには、およそ3000世帯、2万1千人を超える人々が生活していた。住民の多くはマニラに職を求めて、貧しい島々の農村からやってきたが、職を見つけることが出来ず、このスラムに住みつき、命をつないでいた。住民はマニラからトラックで運ばれてくるゴミの中からガラスビン、アルミ、鉄などの換金可能なゴミを拾い、それをお金に換えて、生活費としていた。このゴミを拾って、生活する人々をスカベンジャー(英語:Scavenger)という。

フィリピン政府はこのスモーキーマウンテンを国家の恥部と認識しており、ラモス政権はこの地域の再開発政策を積極的に進め、1994年からゴミの廃棄禁止に踏み切った。また、退去をめぐって住民と激しい闘争を何度も繰り返し、1995年11月27日、ついにスモーキーマウンテンの住民の強制退去を命じた。スモーキーマウンテンを追われた住民たちは政府の用意した仮設住宅に移り住んでいる。

このアロマ仮設住宅にはスモーキーマウンテンの開発賛成派の住民と反対派の住民が暮らしており、そこから車で数分のところにあるパロラゴミ捨て場でゴミを拾って生活したり、街にゴミを拾いに出かけている。開発反対派の一部住民はビタス仮説住宅に移り、繁華街や市場のゴミ捨て場をまわってゴミを拾って生活している。政府はスモーキーマウンテンのある場所に3000戸の中層住宅を建設することを予定しており、最低600ペソ(2400円)の家賃で貸す予定である。(1995年)
2000年1月時点、住民の約6割の人々は今だスモーキーマウンテンの向かいに出来た新しいゴミ捨て場でゴミを拾っては転売して生活する状況が続いているという。



スモーキーマウンテンを知っていますか?(監督執筆本「忘れられた子供たち」より抜粋)

スモーキーマウンテンはフィリピン国内で発行されているどの地図を探しても決して名前がのっていないいわば「地図にない村」なのだ。
人口わずか2割の裕福な人々が、国の富の8割を独占しているといわれているフィリピンでは、土地を持たない地方の農村出身者などが一家大勢して、わずかな可能性にかけ、大都市マニラを目指す。
しかし、いくら、頭がよくたって、いい大学を卒業をしたって、コネのない人々が自分の夢を叶える可能性はほとんどゼロに近い国フィリピンでは、希望する仕事にありつけるはずも無く首都マニラでは、青年男女の失業率は絶えず50%を超えるといわれている。

故郷を後にし、仕事もなく、住む場所もない人々はどうなるのか?彼らの多くは「スクワッター」になる。「スクワッター」とは、不法占拠のこと。他人の土地や国の所有地に勝手に家を建て住み込む人々のことを指す。
彼らは町中の鉄道の線路脇や川沿いの空き地を見つけては自分たちで、わずか数日で掘っ建て小屋をたて、澄みはじめる。余り人のいかない墓地の中や高速道路の下に家を建てて、住みつく人も大勢いる。水も電気も通っていない。トイレなどは下水はなく勝手に家の片隅にカーテンを引いたものだ。そのにおいが、わずか6条ほどの掘っ建て小屋の中で飯を作るにおいとまざり、僕は最初行った時には吐き気がしてきた。

このような家が集まって、一つの町のようになったものがスラムである。その中の一つがゴミ捨て場の山野斜面に3000家族、21000人の不法占拠者を抱える東洋最大のスラム街、スモーキーマウンテンである。
彼らは、ここに捨てられたゴミからまだリサイクルできるものを探し出し、それを換金する。このような仕事をして暮らす人たちのことを「スカベンジャー(ゴミを拾う人々)」という。

スモーキーマウンテン