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これは、普段私たちが見慣れている映画とはちがう不思議な魅力をたたえた作品です。 そして、この不思議さは、いささか、いや大いに「攪乱的」でもあります。 ![]() これ以上の悲惨さはないと思える生活を子どもたちを中心に六年がかりで撮り続けた、ほぼ全編モノクロームの画面は、しかし不思議な美しさに満ちているのです。 なかでもこの作品の主人公である子どもたちの輝きはどういうことなのか。劣悪の環境のなかで、彼らは幼くして働き始め、一家を支えている子も少なくないのですが、そんななかで子どもたちは活き活きと元気です。 それは「不幸の輝き」とでも呼ぶべきものです。それを生んだ因(もと)を、だからと言って肯定することなど出来ることではありません。なのに、子どもたちはどうしてこうも魅力的なのか。 なぜなんだろう、と私はこの映画を作った四ノ宮浩監督に訪ねました。その答えを一言で要約すれば「利他的」ということのようです。 「教会で子どもたちが祈るのを見ていると、家族や身の回りの人たちなどを、自分以外の他者のことをまず神に祈っている」 私はこの映画を阪神大震災が起きた後で観ましたから、当然、それと重ね合わせて観る部分がありました。近代都市文明の先端を走ってきたまちを突然襲った厄災について、人は恨むべき他者、糾すべき他者をたくさん持ち、守るべき自分があります。それは当然すぎる位当然のことなのです。ましてスモーキーマウンテンの悲惨は、自然ではなく人間が作り出したものです。 こんな美しさや輝きが在っていいものか-そう思いながら画面に引き込まれていく自分自身の混乱をふくめて、人間というものの摩訶不思議さを感じさせ、考えさせる映画です。 筑紫哲也(ジャーナリスト) ![]() そして1994年秋、この映画を見て、自分にはスモーキーを語る資格はないと思った。私が逃げ出したここに住み込み、ここでカメラを回した日本人の映像作家がいた。 なぜ、若い恋人たちはこの作家の前にすべてをさらけ出し、記録することを許したのか。この監督が、彼らの問題を自らの問題としてとことん付き合い、目の前の人間をあるがままに見、あるがままに認め、そしてこの恋人たちが、その彼の「やさしさ」を理解したからだろう。言うまでもないことだが、これは並大抵のことではない。 私にできることは、彼とその作品を、一人でも多くの人に紹介することぐらいだ。だから記事を書いた。精いっぱい。 真にドキュメンタリーの名に値する記録映画だと信じたから・・・。 本田雅和(朝日新聞記者) これは真剣で力のこもった映画である。私は圧倒され、感動した。なんという人々!なんという現実! 佐藤忠男(映画評論家) 僕らがいつのまにか忘れてしまったもの。僕らが現代という免罪符の中で犠牲にしてきたこと。そのすべてがここにある。 ドリアン助川(叫ぶ詩人の会) したたかな目で、したたかな人間たちを描いた快作。おもしろい。 東陽一(映画監督) 私は映画館の暗がりで身を乗りだし、一瞬たりとも見逃すまいと、この映画を凝視していた。 宮内勝典(作家) 棲息の極限のようなスラム、否それ故にこそか、子どもたちの瞳の輝きがたまらない!! 吉田ルイ子(フォトジャーナリスト) |